History
10歳・・・
工作が好きな松浦少年
小さい頃から工作が大好きな少年でした。工作番組や、工作の図鑑など
みては牛乳パックなどで歩くロボットを作ったり、段ボールの迷路や
輪ゴム鉄砲を作って学校に持っていては友人を楽しませているような少年でした。
家にあるパソコンやラジカセなどを分解してどんな構造や
仕様になっているのかを見るのが好きで、たまに親に怒られることもありました。
親がエンジニアになりたかったという思いと、機械を作るのも好きだったので
エンジニアになろうと思い、近くの進学校へ進みました。
16歳・・・
高2の夏の出来事
高2になって初めてケータイを手にしました。
ちょうどiPhoneが日本に上陸した時代でした。
今までガラケーと呼ばれるもので進化を続けていた文化が、iPhoneに取って
代わられる変化を目の当たりにしました。
この出来事は松浦に深く印象に残る出来事でした。
当初、松浦少年はこの時二つの進路で迷っていました。
一つ目は、エンジニアとして工学部に進学
二つ目は、デザインを志すため、美大に進学
当初アンジェラアキの手紙を聴きながら、近くの見晴らしのいい公園で考えていました。この時考えたのは、人の心に残るものを作りたいと思う工作好きの少年の思いでした。
iphoneは当初の松浦少年から見ると便利さの塊でした。
便利さは更新されていく。そう、ガラケーがiPhoneに取って代わられたように。
それはエンジニアの運命でもあるような気もしました。
でも、もしかしたら、デザインは便利さを超えれるかもしれない。
古くても、少し不便でも、デザインが素晴らしく、美しいものはきっと人の心を動かすかもしれない。
例えば、今でもレトロな車や、アンティークな家具は、人の心を魅了する。
「人の心に残るデザインを作ったらなんて素敵なことだろう」と
そして、そんな力がもしかしたらデザインにあるかもしれないと松浦は思いました。
そして、美大に進学しようと思いました。
17歳・・・
美大に行く決意
まず、基本的には美大に行くことを親御さんは安易に承諾しません。漠然とし不安定なイメージが
あるからです。そこで松浦は親の承認も取らず勝手に美大に行くことを決め、
美大独特の実技に対応するための画塾を探しました。
そして規模の大きい画塾に通うため、隣の県の画塾に勝手に見学に行き、
親の許可なく勝手に通い始めました。もちろん親はすぐに承認しませんでしたが、
やりたいことを曲げる気がなかった自分の意志に諦めをもったのか、納得をしてくれました。
親から出された条件は浪人はさせない。どこでもいいから入れさせる。というのが条件でした。
大学にもよりますが、美大は浪人して入ることが多く、やはり有名な大学に行くのには少ない期間で
しっかりと実績を積まないといけないと思いました。
松浦少年は、美術の評価は良かったため自信がありましたが、画塾に行ったら驚きました。
当たり前ですが、ゴロゴロと絵のうまい人がたくさんいるのが画塾で、そんな人たちが目指すのが
美大なのです。今までの人たちとの比較ではなく、さらに効率的にスキルを伸ばすため、
県を跨いで行きたい美大に特化した画塾にも通いました。
美大の試験と聞くと、実技のデッサンだけなのかと思うかも知れないがそうでもありませんでした。
一般的な英語、国語、数学の筆記試験が3割ほどを占めています。
もちろん実技もそうですが、筆記試験もそれなりにできなくてはいけません。
毎朝7:30から筆記試験の勉強に打ち込み、夜は画塾に通う様な生活をしていました。
結果、努力の甲斐もあり、なんとか志望の大学に入ることができました。
18歳・・・
大学時代
積極的に大学外部のコミュニティと関わりを持つようにしました。
デザインを好きなことはもちろん、デザインを通して誰かを喜ばせたり、
誰かに役に立ってこそがデザインだと感じていたので、商品開発などのプロジェクトに参加し、
外部での関わりを大切にしてきました。
24歳・・・
社会人〜独立まで
完全分業による間接的な仕事が、
自分が誰に貢献しているのか、誰を幸せにしているのか、誰を喜ばせているのか、 わかりませんでした。 この人のためにやっている、その人が幸せになっているのを直接肌で感じたい、 人を喜ばせたい・人の心に残るものを作りたい一心で生きてきた少年時代の想いと全く一緒でした。
自分の想いに正直な仕事をしたく、個人事業主として自分の会社を立ち上げるために退職をしました。
独立したら幸せになると思っていました。
2020年4月緊急事態宣言の発令
世の中が180度変わりました。緊急事態宣言、イベント閉鎖、展示会閉鎖、全てのイベントが中止を余儀なくされ、 幸せにしたい人に出会う機会がなくなり、今後について考えることが増えました。
いつ、どんなときも、最も簡単に、世界が変わる。
それに対応するために新しいことにチャレンジをする必要があると、 今までの培ってきたデザイン力で世界を創るために2021年に会社として起業しました。
vision
愛のあるデザインで、未来を創る私たちは、愛のあるデザインで創出する価値を最大化しながら具現化することで、この世から価値が伝えられないことで悩む人を無くします。そして、挑戦する人々と共に明るい未来を共に作り上げるため貢献し続けます。